窓際の景色

書評、釣行記。

【書評】「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(増田俊也著、新潮社刊)

 格闘技、とりわけ柔道に関しては全くの無知である。戦後で言えば井上康生山下泰裕小川直也吉田秀彦、ウィリアム・ルスカ、アントン・ヘーシンク、少し古いところでは坂口征二くらいのものである。戦前ともなれば言わずもがなである。この長編柔道読み物の主人公は戦前、柔道界において何年も無敵を誇り、頂点に君臨し続けた木村政彦その人である。

 本書前半は師匠牛島辰熊との血の滲む様な柔道を極める鍛錬の連続を、関係者へのインタビューや当時の新聞等や文献の調査に基づいた記述によりリアルに再現している。技など多分に専門的な記述が素人には理解が大変である。しかし、またそれは柔道を知らない大半の読者にとっては想像を絶する厳しくストイックな柔道という世界観に触れる機会でもある。 前にも後ろにももはや誰も敵が居ない木村にさえも戦争が大きく人生を狂わされてしまう。今日を生きる為、稼ぐ為、プロ柔道に足を踏み入れ、蜜月関係にあった牛島と袂を分つ頃がそれであろう。また、ハワイやブラジルへの転戦につぐ転戦。プロレスとの出会いもその頃だったのであろう。

 中盤から後半にかけては、相撲界からプロレス界に華麗に転身した力道山木村政彦の相容れない人生と人格の対比が生々しくも悲哀を感じさせる展開に惹き込まれる。混乱を極めた当時の日本における力道山は数十年たった今も戦後復興のシンボルである。世渡りが上手くない木村は終始力道山に利用されプロレス発展の為、食い物にされていく。柔道という格闘技の頂点を極め、栄華を誇った木村が故、哀れすぎる。本書のテーマである巌流島の決戦で力道山の罠に嵌められ陥落した木村は後生、それに苛まれていく事となる。殺そうとまで思い詰める事となるのだが。なぜ殺さなかったのか、それは木村政彦にしか分からない。

                                                                                                                                                         kindleにて読了